私は、趣味で手芸をやっている。
誰にも作品を見せたことは無いが、私は好きでそれを小さい頃からずっと続けているのだ。
しかし手芸といってもセーターやマフラーを作るのではなく、毛糸の間にビーズを編みこんでオブジェを作るのが私の作風だった。
ひと針、ひと針と編んで行くとき、私は図案を全く紙に書き出さない。構想は頭の中で組み立てる。だから最初はどんなものができあがるのか自分でも想像することができない。
ただ本能のままに編みこんで行きながら、自分が見たいものを作ろうとして鈎針を行ったり来たりさせるのが私のやり方だった。
…私はこれまで、手芸とはなんの関係もない大学に在籍し、毎日を実験や卒業論文に追われて過ごしていた。
いきおい手芸に熱中する時間など無く、それはいつも私の不満の種だった。
―心行くまで手芸をできる時間があったなら…
―手芸で身を立てることができたらいいのに…
私は今まで何度も妄想した。
しかし、実際に手芸作家として成功しご飯を食べていける人間など、ほんの一握りに決まっている。
そのため私は手芸より現実的な進路を優先し、それほど興味を持てない大学の講義にきちんと出席し卒業証書を得て、春からは某企業に就職することを決めていた。
だが最後の春休みに入ってすぐのころ私の頭に、卒業記念にひとつ手芸作品を作ってみたらどうかという考えが浮かんだ。
幸いこの春休みにはなんの予定も入ってなかった。
私はその考えを実行することを決め、近くの手芸屋で気に入る毛糸とビーズを買い込んで、1人暮らしの小さなアパートに篭城する準備を整えた。
それからというもの、私は人生でかつて無かったくらいに熱中した。
卒業制作には、ただ自分と毛糸とビーズと鈎針があればよかった。
ひとの温もりも声も携帯電話もメールも音楽もテレビも邪魔で、全て拒絶してひたすら指を動かした。
私は殆ど風呂にも入らず、ただお腹が空いた時だけは数日に1回近所のコンビニに行って手に入れた食べ物をムシャムシャと口に入れたが、食べている間さえも作業の手を止めなかった。
そうして数週間…
すっかり世捨て人のようになった私の手のなかで、ついに渾身の力を込めて作り上げた作品が完成した。
―ああ、できた…
私はそれを見て泣いた。
感動の余りに泣いた。
金色の毛糸をベースにキラキラと光る何色ものビーズ編み込んだそのオブジェは、自分にとっての最高傑作といえる出来だった。
けれど作品を枕の元に置いたまま眠りについて…
再び目を覚ました時、私は突然茫漠とした寂しさに襲われた。
ひとが恋しい。誰かの声が聞きたい。私の居る場所に戻りたい。
そんな衝動が込み上げてきて私を支配した。
私はその時、『男はロマンを追うものさ』と言ってふらりと出掛ける癖のある放浪癖の友人が、なぜ放浪の限りを尽くしたあと必ず日本の自宅に帰るのかということを理解した気がした。
『戦うこともいいと思った。でも疲れ果ててしまうと思ったの』と言ってキャリアウーマンをやめ、お嫁に行った友人の気持ちも分かった気がした。いま彼女は二児の母だ。
―ああ、そうだったんだ。人間には帰る場所が必要なんだ。
…私は、のそのそと起き上がり、出来上がったオブジェを仕舞うのに適当な箱を部屋から探し出し、そっと作品を入れて蓋をした。
そして来春から働く会社の寮への引越し作業を、おもむろに始めたのだった。
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by kirakirakiraku
| 2008-03-08 08:59
| ひと