出会いと別れ
2005年 04月 05日
春は出会いと別れの季節だなんて、もう聞き飽きたセリフだろうか。
さて、出会いはこれからだとして、もう別れはだいぶ沢山体験した今年の春。その中でもある意味印象的だったのは
「お別れだな」
って精神的に完全に突き放した別れだった。突き放した別れというのはつまり、これからも是非機会があれば会いたいと思うし会えると信じているのとは違って、もうこれから一生会わないかもしれないと覚悟した上で、それでいいと認めるという事だと私は考えている。
それは、もう二度と会わないかもしれない場所へ旅立っていく人との別れ。何かありそうで結局何もなかった相手だった。ずっと多少気になっていたのだが、他にも思うところがあり、そこまでの相手だったんだなぁと思ってこの別れを機に忘れることにした。
最後の挨拶の時、私を乗せた車の窓の外に立って手を振るその人を、私は驚くくらい冷静な気持ちで見ていた。運転席に座る知り合いが、
「きらくちゃん、いいの?好みのタイプだったんじゃないの?」
ときいたけど、私は、
「いいんです。好みのタイプの男の人なんて沢山いますから」
と冷たく言い放った。自分でもそういう自分が怖いなぁと思ったけど、もう沢山だと思った。押しているような反面煮え切らない態度とか、いつも肝心な時には後姿を見せてそそくさと逃げていくところとかが。あと20年一緒にいたって、あの人と私の間の距離は変わらないと思った。「さようなら」の時間だ。
知り合いは車のアクセルを踏んで、私は決まりごとのように一度座席から振り返って手を振ったけど、心の中ではもう前を向いていた。
私は今も先月と同じ家に住んで、また同じ学校で学ぶ。
最後にもらった彼の新しい住所を書いた紙はまだ財布の中にあるけれど、私は彼に手紙を書いたりはしないと思う。あの人は遠い場所で、私がいなくても絶対に幸せになるだろう。それでいい。
満開になったと思ったらすぐに桜が散り始めて、暖かい日差しの中をドライブしていると花びらが舞い落ちてくる。
春はいつまで続くんだろうか。
さて、出会いはこれからだとして、もう別れはだいぶ沢山体験した今年の春。その中でもある意味印象的だったのは
「お別れだな」
って精神的に完全に突き放した別れだった。突き放した別れというのはつまり、これからも是非機会があれば会いたいと思うし会えると信じているのとは違って、もうこれから一生会わないかもしれないと覚悟した上で、それでいいと認めるという事だと私は考えている。
それは、もう二度と会わないかもしれない場所へ旅立っていく人との別れ。何かありそうで結局何もなかった相手だった。ずっと多少気になっていたのだが、他にも思うところがあり、そこまでの相手だったんだなぁと思ってこの別れを機に忘れることにした。
最後の挨拶の時、私を乗せた車の窓の外に立って手を振るその人を、私は驚くくらい冷静な気持ちで見ていた。運転席に座る知り合いが、
「きらくちゃん、いいの?好みのタイプだったんじゃないの?」
ときいたけど、私は、
「いいんです。好みのタイプの男の人なんて沢山いますから」
と冷たく言い放った。自分でもそういう自分が怖いなぁと思ったけど、もう沢山だと思った。押しているような反面煮え切らない態度とか、いつも肝心な時には後姿を見せてそそくさと逃げていくところとかが。あと20年一緒にいたって、あの人と私の間の距離は変わらないと思った。「さようなら」の時間だ。
知り合いは車のアクセルを踏んで、私は決まりごとのように一度座席から振り返って手を振ったけど、心の中ではもう前を向いていた。
私は今も先月と同じ家に住んで、また同じ学校で学ぶ。
最後にもらった彼の新しい住所を書いた紙はまだ財布の中にあるけれど、私は彼に手紙を書いたりはしないと思う。あの人は遠い場所で、私がいなくても絶対に幸せになるだろう。それでいい。
満開になったと思ったらすぐに桜が散り始めて、暖かい日差しの中をドライブしていると花びらが舞い落ちてくる。
春はいつまで続くんだろうか。
by kirakirakiraku
| 2005-04-05 02:30
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