お気楽に、きらきらしたものを集めます。管理人名前=きらく。かわいいグッズに目がない。一応大学卒業が決定したらしい。


by kirakirakiraku
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2005年 04月 16日 ( 1 )

マッチスティック・メン

 今日は、タイトルどおり「マッチスティック・メン」を観た。ニコラス・ケイジが出てるから面白く無くてもいいやと思っていたけど普通に楽しかった。映像も綺麗だったしね。
 影響を受けやすい性質の私は、既にプールのある風景を撮影したくてしょうがなくなっております。だってね、劇中、ニコラスの家の庭にでっかいプールがあるんだけど、それが夜とか、風に揺れながら光を反射して、カーテンの無い部屋の中にブルーの凄く面白いライティングを映しているのですよ。そういうの、たまらなく好きなの。真似したい。

 内容も、なんだかんだ言ってファザコンの私には向いている。父(しかもニコラス)と娘がハニカミながら仲良くしているシーンは、胸キュンものでわくわくする。役者もいいし、劇中の「14歳」の服装も、ちょうど私たち世代が14歳だった頃の雰囲気で感情移入できます。

 で、この映画のDVDには本編と同じ時間の音声解説と、ちょ~長いメイキングがついているんだけど、私は映像関係のサークルに入っているから興味があって、結局その長~い特典映像も見てしまい、合計5時間くらいテレビを見ていた。
 それを見ていて再確認したのは、これが
「ほぼ全部のディティールに理由があって作った映画」
なんだってことだ。メイキングを見ていると、この映画のセリフは全部計算されているし、脚本も何度も検討され、書き換えられていることがわかる。製作者は表情のひとつにも意図を込めている。冒頭で紹介した、プールの存在にさえ、こだわりがある。
 この映画が「名画」じゃないけど充分面白いのはそのためではないだろうか。派手さは無いけれども、堅実に楽しませてくれるっていう、優等生映画だ。

 以前の私は、芸術とか、文学とか社会とか、文系のものごとは全て感覚とか雰囲気で形づくられると思っていたけれども、文章を書くのにしても、ものを作るのにしてもちゃんと「理由」から理詰めで作っていたら、上手くいく確率が高まることに気がついた。それに気がついたのは、医学部に入ったからだ。
 西洋医学に「なんとなく」は許されない。説明できないことは、即ち「まだわかっていないこと」と分類されている。そのため、医学部の試験では「○○の機序を説明せよ」という問いかけが常になされる。その繰り返しで、私もいつの間にか自然に「理由」を求めるようになり、その価値に気がついたのだ。

 「理由がある」ということは、非常にシステマチックなことだ。理由があれば人を説得できるし、理由があれば無駄がない。「理由がある」生き方をできるって、「優等生でいられる」ことと似ている。だから、医学部の勉強と生活はまるで平均よりやや上の優等生を製造するプログラムだ。同じ「理由」を詰め込んで、狭い世界で監視しながら管理する。それに迎合すれば楽ちんだし将来安泰だ。医学生の将来が基本的に安定しているのは、そういう「理由」に基づいた生き方を6年間で徹底的に植えつけられるからじゃないだろうか。

 でも、「最高にいいもの」を作るのには、やっぱり理由があることだけじゃダメなんじゃないだろうかと思うけど。例えば絵画の背景に思想的な意図が隠れており、描かれるモチーフに「理由」があってそれが結果的に、評論家に説明する喜びを与えても、見る人の心を打つものになるとは限らない。
 もっと言えば、「モナ・リザ」が評価されたのは、「ダヴィンチ・コード」を書けるような絵だからじゃない。「モナ・リザ」が名画だから、「ダヴィンチ・コード」が後から出てくるだけ。

 「理由」は平均点以上を取るためには確実な方法だけど、規格外を生み出すのには力不足だ。
 つまり思うに、映画でも、医学でも芸術でも文学でも、「最高にいいもの」ってのは、天才的な嗅覚で「理由」を超える感動のツボ一点を突き得た場合と、綿密に計算した「理由」の上に研ぎ澄まされた「感覚」を乗せていった場合に生まれるのではないだろうか。前者は天才のやり方、後者は職人のやり方ってことで。

 「マッチスティック・メン」は、職人技。そして職人技で、まぁ大体は事足りる。レンタル料以上の価値はある。暇なら是非観てね、とオススメしておく。
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by kirakirakiraku | 2005-04-16 03:55 | 映像