あぁ~~ウマチョビレ~
2004年 12月 19日
人間は、ストレスを感じると、ストレスホルモンと呼ばれるものを出している。別にストレスがあるからって、心の問題だけが起きるわけじゃないってことだ。たとえば、あまりに痛すぎることをされると(麻酔なしの外科手術とか)人間はストレスホルモンの影響で死んだりするのだ。だから、ストレスを押し込めて生きていくのは「体によくない」のは確かだ。ストレスを感じると、血圧がイッキに上がったりとかもするよね。私は上が90なくて下が50くらいの低血圧だけど、イライラして血圧がドンっとあがったのを感じるときだけは、普段の低血圧をありがたく思うよ・・・。
「ストレス」と「現代人」は、もはや切っても切り離せない枕詞みたいな存在だろうか。現代では、よっぽど恵まれていなかったら、ストレスとほとんど縁なく暮らすのは難しい。
では現代人のストレスってなんだ、というと、嫁姑の問題とか、仕事がどうとか、そういうのは昔からあったかもしれないけど、それ以上に私が原因じゃないかと思うのは、よく言われることではあるが、世間が早く動くことだ。
今の時代、なんでも早い(速い)。早くないと、おいて行かれる。見捨てられる。「ゆったり」するのが難しいのだ。それでも、「自分時間」で生きることができないわけではないが、この社会の中で勝ち組になろうと思えば思うほどに、速さが求められる。
ネットはブロードバンド対応のページが増えて細い回線じゃイライラするし、研究もスクープも一秒でも早いのが勝ちで価値。おまけに映画でもドラマでも、コマ送りを意図的に流して冗長な場面説明時間を短縮する手法が増えてきたカンジがする(あくまで感覚)。コマ送りするせいでコミカルな印象になってしまうので、コメディに向いている手法だけど、あれをやられると
「あぁ・・・やっぱりなんでも《はやく》なっている」
とも思ってしまう。
それに加えて、こうやって↑のように主観入りまくりのことを書くと、瞬時に不安になる。徹底的に調べつくしたわけでもないのにこんなこと言っちゃっていいのかな・・・と思う。情報は開示されているのに。情報が増え、アクセスが簡単になったぶん、根拠が必要になった。「父さんが言うなら黒も白」はナンセンス。うやむやに流すのがいやなら、考えなければならないことが多すぎる。元来調べ物が好きな私でも、あまりにも沢山不確定情報を与えられれば、誰か答えを決めて教えてくれたらいいのになと思わなくもない。
じゃあ「スローライフ」がしたいかというと、私はいやである。うさんくさいとか以前に、この社会の大半がスローライフを始めない限りは、スローであることで失うものの方が多すぎるから。だからまぁ、結局好きでストレスの多い生き方をしているんじゃないかと指摘されても完全に否定はできない。「このストレスの先にあるものが欲しい」という気持ちがなかったら、私は今の生活なんかとっくに放棄しているだろうしね。下心丸出し人生なんですよ。
でも、ひとつだけ憧れるスローな時代錯誤がある。それは「待つ」ことだ。
現代は、「待たせない」ことを目指す時代。企業も速くなるように努力しているから、通信販売で商品が届くのも、欲しいものを見つけるのも、昔よりずっと早くなった。選択肢も広がったし、「早く買って」「早く答えだして」と言われることが多い。
だけどそんな中で、相手をせかすことなく、何かに追われたり不安になったりせず、納得して
「待つ」ことができるだけの何か、
「これのためなら、穏やかに待てる」というだけの何かには、情熱を感じる。
たとえば子供が12歳から13歳になるのにかかる時間は今も昔も一年ぴったり。
好きな人の帰りを「浮気してんじゃないの」なんてつゆほども思うことなく待つのもイイ。
バスが一時間来ないのを待つのだって、スケジュールが許して、日焼けしないんだったら、憧れるな。もちろんここで「ちょっと、バス遅れてんじゃないの」とかクレーム電話をしたくなるような状況では、ダメである。
今、私は待ちたい。暇になりたいんじゃない。足踏みとも違う。
ただずっとじっと、価値ある「待つ」をしてみたいのだ。
「ストレス」と「現代人」は、もはや切っても切り離せない枕詞みたいな存在だろうか。現代では、よっぽど恵まれていなかったら、ストレスとほとんど縁なく暮らすのは難しい。
では現代人のストレスってなんだ、というと、嫁姑の問題とか、仕事がどうとか、そういうのは昔からあったかもしれないけど、それ以上に私が原因じゃないかと思うのは、よく言われることではあるが、世間が早く動くことだ。
今の時代、なんでも早い(速い)。早くないと、おいて行かれる。見捨てられる。「ゆったり」するのが難しいのだ。それでも、「自分時間」で生きることができないわけではないが、この社会の中で勝ち組になろうと思えば思うほどに、速さが求められる。
ネットはブロードバンド対応のページが増えて細い回線じゃイライラするし、研究もスクープも一秒でも早いのが勝ちで価値。おまけに映画でもドラマでも、コマ送りを意図的に流して冗長な場面説明時間を短縮する手法が増えてきたカンジがする(あくまで感覚)。コマ送りするせいでコミカルな印象になってしまうので、コメディに向いている手法だけど、あれをやられると
「あぁ・・・やっぱりなんでも《はやく》なっている」
とも思ってしまう。
それに加えて、こうやって↑のように主観入りまくりのことを書くと、瞬時に不安になる。徹底的に調べつくしたわけでもないのにこんなこと言っちゃっていいのかな・・・と思う。情報は開示されているのに。情報が増え、アクセスが簡単になったぶん、根拠が必要になった。「父さんが言うなら黒も白」はナンセンス。うやむやに流すのがいやなら、考えなければならないことが多すぎる。元来調べ物が好きな私でも、あまりにも沢山不確定情報を与えられれば、誰か答えを決めて教えてくれたらいいのになと思わなくもない。
じゃあ「スローライフ」がしたいかというと、私はいやである。うさんくさいとか以前に、この社会の大半がスローライフを始めない限りは、スローであることで失うものの方が多すぎるから。だからまぁ、結局好きでストレスの多い生き方をしているんじゃないかと指摘されても完全に否定はできない。「このストレスの先にあるものが欲しい」という気持ちがなかったら、私は今の生活なんかとっくに放棄しているだろうしね。下心丸出し人生なんですよ。
でも、ひとつだけ憧れるスローな時代錯誤がある。それは「待つ」ことだ。
現代は、「待たせない」ことを目指す時代。企業も速くなるように努力しているから、通信販売で商品が届くのも、欲しいものを見つけるのも、昔よりずっと早くなった。選択肢も広がったし、「早く買って」「早く答えだして」と言われることが多い。
だけどそんな中で、相手をせかすことなく、何かに追われたり不安になったりせず、納得して
「待つ」ことができるだけの何か、
「これのためなら、穏やかに待てる」というだけの何かには、情熱を感じる。
たとえば子供が12歳から13歳になるのにかかる時間は今も昔も一年ぴったり。
好きな人の帰りを「浮気してんじゃないの」なんてつゆほども思うことなく待つのもイイ。
バスが一時間来ないのを待つのだって、スケジュールが許して、日焼けしないんだったら、憧れるな。もちろんここで「ちょっと、バス遅れてんじゃないの」とかクレーム電話をしたくなるような状況では、ダメである。
今、私は待ちたい。暇になりたいんじゃない。足踏みとも違う。
ただずっとじっと、価値ある「待つ」をしてみたいのだ。
by kirakirakiraku
| 2004-12-19 11:22
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